型友禅が行われるようになったのは 明治時代になって 合成染料が輸入されてから。
しかし その以前にも「板場友禅」と呼ばれる型紙にて染め付けを行う技術も 南方や大陸からの影響を受けつつ 独自の発展を遂げています。特に 伊勢(現在の三重県)の白子にて江戸期・参勤交代の頃 琉球からもたらされた紅型の影響は 大きいと思います。
さて 現在 友禅といえば 年間総生産80%以上が型友禅です。手描きの礼装用着物や 作家による工芸着物は ほんのわずかです。いかに型友禅が主流であること それ程 恩恵を受けているのです。
かつて 友禅は 天然染料の不安定さと 手作業のため 大量生産ができずに 限られた富裕層たちのものでした。
型友禅を世に広めた二人の祖・堀川新三郎と広瀬治助は 忘れてはならないでしょう。
明治時代になって合成染料が輸入されると それに防染糊を混ぜた 写し糊が開発され 型紙を用いて染める型友禅が 明治30年にはほぼ普及し 庶民のものとなりました。
当初は現在のような 絹の素材ではなく ウールの一種であるモスリンなどの生地に 日本の友禅模様のデザインを海外に送り 染めてもらい輸入していたのです。
そのモスリンの白生地とは メリノ種の羊毛を平織りにした薄手の毛織物 (モスリンの語源は、元々はイラクのモスル地方で作られた薄地の木綿布) それに本友禅の技法を取り入れ 型染を始めたのが 堀川新三郎。技術的に難しいとされていた 合成染料に防染糊を混ぜて 色糊(写し糊)を考案し 完成させます。
型友禅とは 生地の上に型紙を置き その上からヘラで写し糊を塗りつけていき 型紙を外したのちに 目安の送り星にそって最終的には色柄が連続して続くように 複雑に組み合わされた型紙を順番通りに指定色の写し糊で型置きしていきます。いわば 連続した多色刷りの版画です。これを蒸して染料を定着させ 最後に水洗いして糊を落し完成です。
モスリン型染開発者の堀川新三郎の元に 別工場でモスリン染めの名手として働いていた次なる祖 広瀬治助が訪問し 技法の伝授を求め 更なる工夫を加え現在の絹織物である縮緬友禅を完成させました。二人の探求心が意気投合して結実したのです。この友情は 忘れることは出来ません。
当店は、功績のある 二人の名を 日本における 型友禅の祖として 伝え続けます。
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2019年 117号 早春蕾号